Last Updated on 2025年3月28日 by 成田滋
19世紀最後の四半世紀のアメリカにおける支配的勢力は、政治的というよりもむしろ経済的、社会的なものでした。このことは、政治的リーダーシップの無力とか、インフレを求める農民運動の継続を除いては、政治に深い対立をもたらす問題が存在しないことを反映したようです。政治的に著名な人物はいましたが、彼らは政治的な行動計画の代弁者としてではなく、個人的な基盤の上に立って人気を得ていました。
この時期の大統領で真に党の指導者は見当たらず、1893-97年の2期目の大統領グローバー・クリーブランド(Grover Cleveland)以外は、傑出した大統領はいませんでした。ウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)やジェイムズ・ブライス(James Bryce)といったアメリカ政界を鋭く観察していた政治家すらさえも、偉大な人物が大統領になることはないと考えていたようです。また、両政党の大統領候補の指名大会では、政敵が少ないといった無難な候補者を選ぶのが普通となりました。
それでもウィルソンはヨーロッパでの第一次世界大戦への参戦を決断し、大戦末期にはウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)の「平和に関する布告」(Dekret o mire)に対抗して「十四か条の平和原則」を発表、新世界秩序を掲げてパリ講和会議を主宰し、国際連盟の創設に尽力した大統領です。「十四か条の平和原則」とは、公正かつ民主的な平和の実現のため、民族自決に基づいて無併合・無賠償を原則として戦争を即時停止するといった内容の宣言です。
共和党は、南北戦争から世紀末にかけて、1884年と1892年を除くすべての大統領選挙で勝利し、同時期の3つの議会を除くすべての議会で上院の過半数を占め多数党となります。しかし、民主党は1875年から1895年までの10回の議会のうち8回で下院の過半数を獲得していきます。共和党は1870年から1890年以降まで党内分裂に直面し、1876年以降の選挙戦のたびに南部全域を野党に譲らざるを得なかったのですが、政権与党となりました。
共和党には、連邦を分離独立から守り、奴隷制を廃止した政党であるという自負がありました。他の政策の主張が失敗したときも、共和党の指導者は戦争の記憶を蘇らせることによって北部と西部の票を掘り起こすことができました。共和党の有利なことは、国家の継続的な産業発展は、民主党政権よりも共和党政権の方がより確実であるという信念が国民に次第に広まっていたことです。経済的に不利な年を除いて、戦争の記憶と共和党の経済プログラムへの信頼は、北部と西部のほとんどの州で共和党が勝利することに表れます。
民主党はリベラル、大都市、人種的マイノリティーである黒人、ヒスパニック(Hispanic)、アジア系、労働組合、貧困層など大都市が集まる東海岸や西海岸などを基盤としています。共和党は農業地帯、伝統的なキリスト教派、労働者、白人支持層の多い南部や中西部を基盤としています。
